なんで日本の企業は猫も杓子も二番煎じのモノマネサービスを始めるのか
本当に意味不明です。
最近だとなんとかペイ、なんてのが最たるもので、猫も杓子もなんとかペイ。どこもかしこも「ユーザーをポイント還元で釣って囲い込みをしてクレジット払いに持ち込むぞ」・・・みたいなのが露骨。
私企業による寡占は問題ですが、もはや増えすぎて誰も把握できないくらい種類が多くなっています。猫も杓子もやることが二番煎じのモノマネで恥ずかしくないのでしょうか。ToyotaまでがBank Payとかいうのを始めてるとかいう・・・。
既にクレジットカードとデビットカード、交通系カードで同じ事が出来ていている訳で、既存のなんとかペイ決済サービスの99%はいずれ消えてゆく運命です。
自分はそもそも中国のパンダみたいなペイペイやネイバー系のLineペイなんて諸々の理由でイヤなので使いませんので、PASMOやSUICAを選べる選択肢があれば十分です。ポイントなんていらないからその分、安くしてくれない?という感じであります。消費者法やら公正取引委員会とか、その辺、どうなんでしょうかね。
日本、気づけばガラパゴス 「不動産」API連携に後れ
タイトルは日経記事のタイトルのもじりです。
銀行APIがあるだけマシです。なにしろ、日本の不動産業界には、不動産APIすらないんですからw
「日本のAPI市場はインターネットにつながらないパソコン状態だ」。フィンテック協会の鬼頭武嗣代表理事副会長(クラウドリアルティ社長)は嘆息する。やり玉にあげるのが、API(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)の仕様だ。企業や金融機関によってばらばらで、組み込み型金融の肝である事業者と金融機関の連携が進まないガラパゴス状態になっている。
APIは電話線のようにアプリケーションをつなぐ役割を果たす。フィンテック企業と金融機関や事業会社を結ぶ重要なインフラだ。
日本では2018年に施行した改正銀行法で金融機関にAPI連携に関する努力義務が課された。100を超える金融機関がAPI契約を結んだが、銀行によってAPIの仕様が異なり、金融機関向けのサービスを横展開しづらい。
銀行APIにしろ、不動産APIにしろ、こういうのは、「ガラパゴス」とは言いません。単に、「遅れている」または「進歩がない」と言います。
日本の不動産業界では、「紙と郵便、電話、FAXが標準のツール」という世界。
国交省も、業法を改正して、XMLで不動産物件情報の流通フォーマットを標準化してAPIに対応するよう改正してくれませんかね。
もう10年以上前から言っているんですけれど。
ポッドキャストが日本で普及しない理由
ポッドキャストは英語圏で物凄い普及をしていて、日本とは比較にならないレベルでコンテンツが増えています。
一方、日本では殆ど話題にすらならない気がします。これは一体なぜなのか。
以前は、単に「アメリカでは車通勤(移動)が多いからねぇ」と思っていたのですが、日本人だって、みんな電車通勤でやたらと長い時間移動しています。
そこで、まず、他の人達はなんと言っているのか、下調べをしてみました。
ポッドキャストに対する日本人の認知度がまだ低いのではないか。
ということです。
日本でポッドキャストが普及しない理由&ポッドキャストのジャンルについて | 海外向けWebマーケティングのエクスポート・ジャパン
Orz。
(確かに・・・)
日本では、テレビ局とかがポッドキャスト形式で番組を配信する気配すら見せないですから、ポッドキャストを聴く人も増えない、逆の因果関係もしかり、というニワトリと卵みたいな関係なのかもしれません。そもそも日本のテレビ局のインターネット配信も全くダメですし、権利関係を立てにインターネットを活用せず凋落の一途をたどっている状況ですね。まったく期待できません。
まぁ、あと、日本人には色々と消費するコンテンツの種類が多すぎるのかもしれません。
日本の電車内で観察してみると、若い男子学生は軒並みゲーム(時間を無駄にしている気がしないでもない)・・・、スーツ姿のサラリーマン男性は漫画ばっかり(海外からみるといい年した大人がコミックかよwと笑われる)・・・若い女学生はLine?かでひたすらおしゃべり(同調圧力の塊のような女子学生らしい)、社会人世代の女性はひたすらショッピングサイトでファッションのチェック・・・。
しかし、そんな人達にもポッドキャストを是非おススメしたい。
ポッドキャストとは
ポッドキャストは、iPodの登場と共にWeb2.0全盛期の頃、2005年の頃だったか、一時一世を風靡しました。ブログがRSS・Atomのフィードを使って記事を「配信」するのと同じ仕組みで、ポッドキャストは音声ファイルを配信するものとなります。
当時はまだそれほどスマホが普及していなかったから、一部の尖がった人達だけが知っていて、現在日本でポッドキャストの知名度・認知度が低いという事に繋がっているのかも知れませんね。
初心者むけの説明で「インターネット版のラジオ」という紹介のされ方がされたりしますが、個人的には違和感があります。インターネットラジオというもの自体はずっと昔から別途に存在していますし、ラジオと違ってオンデマンドでいつでも再生できます。それに、YouTubeの事を「インターネット版のテレビ」なんて言いませんでしたよね。とはいえブログの音声版という説明も微妙。むしろ視聴者からすれば動画ストリーミングサービスであるNetflixの音声版、くらいの感覚があります(なのでSpotifyがポッドキャストに力を入れている)。いずれにしても、「インターネット版のラジオ」とか紹介されてたら自分は聴いていなかっただろうなぁ、とは思います。
日本でのポッドキャストはその後、決して廃れてしまったという訳ではないのですが、ずっと下火になってしまったままの感があります。日本でも大量発生したYoutuberなる動画系とは異なる様相である事は確かです。
因みに、自分はiPhoneが日本に来る以前からiPod愛用者だったので、当然のようにポッドキャストを聴いていて、中でも、テック界では有名だった、Doug KayeのIT Conversationsは、通勤途中に毎回欠かさずに聴いていました。残念ながら 2012に番組は無くなってしまって寂しい限りです。自分は丁度その頃、勤務先が変わって通勤時間が分単位になったり、そもそもITと無関係の職種になったりだったので、なんとなくしばらくポッドキャストから離れていた時期もありました。
しかし、ここ数年、ポッドキャストを「再発見」し、どっぷり浸っている状況です。個人的には、気が付いたら英語圏ではポッドキャストが凄い事になっていた、という感じです。
ポッドキャストの利点
ポッドキャストを聴く一番の理由は、マルチタスク(つまりながら作業)がしやすい、という事です。動画であれば、視点が一点に専有されてしまい、意識も映像に集中しがちです。映画やドラマは特にそういう風に没入するような作りをあえてしていますから、マルチタスクには向いていません。
ポッドキャストであれば、通勤時などはもとより、家事や革靴磨きといった作業時に「ながら聴く」ことが出来ます。
自分の場合、忙しい時は、Twitterを流し読みしながらポッドキャストを2倍速で聴いて情報収集をする、なんてことも良くやっていました。(最近はTwitterの流れを追いかけるのに疲れて離れていますが)
英語圏での状況
基本的に、全ての(ケーブル)テレビ局と主なニュースメディアが、ガッツリとポッドキャストで番組を配信しています。それも、短くて20分、長くて50分とかです。どれもそこそこ長いですが、1.5倍速で聴くと丁度良いです。
例えば、自分が視聴しているポドキャストのごく一部ですが、
PBS Newshour:アメリカの公共放送局のニュース番組。とても落ち着いた雰囲気の上質な報道番組で、アメリカのメディアの中でも最も客観的で安心して視聴していられる。日本でいうとNHK的な立ち位置の放送局だけどちょっと違う。自サイトやYoutubeでもフル番組をライブ配信しているけれど、ポドキャストでもガッツリ50分の番組を毎日配信。
BBC Newshour:言わずと知れたイギリスの国営放送BBCの国際報道番組。ただし、BBCは内容が偏り過ぎていて、BBC Newshourの国際報道は特に、自国の事は棚に上げてアメリカや日本といった他国を腐してメンタル維持しているような所があり、BBC国際放送は国営のプロパガンダ放送と言っても良し。極稀に日本の話題が出ても、毎回日本語すら理解しない「日本特派員」が登場して、デタラメを吹きまくっていて、よくまぁ、こんなデタラメを世界に向けて報じられるなぁ、と嘲笑する為に視聴するのがヨシ。ガッツリ50分。
Hardtalk:これもBBCではあるけれど、ゲストを呼んで1対1で「ハード」なトークをする。ゲストが厳しい姿勢で突っ込みを入れるのが売り。
NBC Nightly News:米NBC。ジャンラジャンジャンジャン~。という導入部分からして、安っぽく、わざとらしい司会とリポーターが大袈裟に話す番組。今どきのアメリカを理解するにはちょうど良い。
Why Is This Happening? with Chris Hayes:これも米NBC系だけども悪くない。毎回一つのトピックをゲスト(日本のように芸人を呼ぶわけではない)を呼んで掘り下げる。
60 Minutes:米CBSのそこそこ権威ある報道番組みたいな立ち位置。たしか、Youtubeとかでは観れず、日本からではサイトでも観れないはず。ポドキャストで聴くのが唯一の方法か。名前のわりに50分弱。CBSは他にもFace The Nationというのもやっている。
48 Hours:これも米CBSですが、ニュース番組というか、リアルクライムドキュメンタリー番組みたいな。個人的に好きなので聴いている。
WSJ What's News:米経済紙ウォールストリートジャーナルのポドキャスト。経済ニュース系だけど、テック系も扱う事が多い。まぁ普通。
などなどがあります。
日本のNHK:
因みに、日本のNHK英語版(NHK World)は、数分限りのNHK Worldのラジオニュースをそのまま録音して配信しているだけで、刺々しい口調のアナウンサーがニュースのタイトルを英語カミカミで棒読みで読み上げているだけ、というやる気の無さが爆発しています。しかも、日本の立場を英語で世界に報道とかいう訳でも全く無く、異様な報道内容のチョイスが目立ちます。そもそもNHK Worldが異常で・・・以下割愛。自分はとうの昔に購読を解除しました。
英語圏での普及度
別に数字で比較するほどの事ではないので、どうでも良いのですが、英語圏ではポドキャストがどんな状況で使われてきているかと言うと・・・
Youtubeとの同時配信:Youtubeの著名な番組は大抵、ポッドキャスト版があります。逆にポッドキャスト番組をYoutubeに転載するような逆方向の進出もあります。
特定トピック限定で、特集番組として新規にポッドキャスト番組を立てる:最近多いのがこの傾向で、全20回の、週一から月一みたいな間隔で更新される連続ドキュメンタリー番組みたいな扱い。既存の番組からスピンオフみたいな扱いで新規に回数限定のポッドキャスト番組を開設するみたいな。
例としては、BBCがちょこちょこやってて、直近では、北朝鮮のサイバー犯罪を取り上げた「The Lazarus Heist」。テレビ放送をYoutubeとポッドキャストで同時配信みたいな感じ。PBSでは「Un(re)solved」で最近話題の黒人関連のトピック。
まったくの独立系(というか個人レベルも多い)が特定のトピック限定で立ち上げるパターンも多くて、一例としては、YOUR OWN BACKYARD では、個人が自分の地元で起きた未解決殺人事件に興味を持って、独自に調査取材を重ね、全十回にわたるエピソードを公開したのですが、これがとても話題になって、その結果、保安官事務所が動いて、犯人逮捕に至った、という・・・
こういうひょっこり出現して、むちゃくちゃ面白い、みたいなポドキャストの番組も多いです。
最近では、アフガン撤退を契機に振り返りみたいな風潮も多いタイミングで、「The Line」という番組が面白かった。ベールに隠された特殊部隊、SEALs隊員の戦争犯罪というスキャンダルにスポットを当てた番組。しっかりとした取材と音源などを使い、隊員たちへのインタビューなどの収録もしていて、もう完全に本格的なドキュメンタリー番組。
当然、その他、個人の趣味趣向関心に合わせたあらゆるトピックの番組が存在していて、IT系といっても、もはや枠が大きすぎて、色々とジャンルに分かれて色々とあります。自分は、暗号通貨系の話題に限定したCoindeskのポッドキャスト番組とかも聴いています。
結論
ポッドキャスト、イイよ!
基礎技術をやるエンジニアが日本で少ない現状を嘆く
通常、基礎研究と言えば理系の分野で、その歴史の長さや人材の厚みが日本の産業における優位点としてよく取りあげられます。
インターネットやソフトウェアの世界でも同様に、基礎となる技術分野というものが存在します。しかし、なぜか日本ではそういった基礎技術をやるエンジニア人口が非常に少なく、そこだけすっぽりと抜けている感があります。
日本では基礎技術が軽視されているのか、教育レベルが追い付いていないのか、そもそも必要性が広く理解されていないのか・・・
基礎研究をおろそかにして手っ取り早い応用ばかりがもてはやされる状況は健全とは言えず、日本の競争力を極端に削ぐばかりですので、残念でなりません。
基礎技術とは
コンピュータープログラミングの初期の頃といえば、ベタな話しですが、物凄く頭が良い数学系の人達が始めたものでした。C言語やUnixが生まれたベル研究所では、文字通りノーベル賞級の数学や物理の博士号保持者がその辺にゴロゴロしていたわけです。そうした人達が、CPUやメモリと言ったハードウェアを制御しながら、色々と便利な事をより簡単にするためにプログラミング言語は発展していきました。
高級言語、低級言語
「低級言語」とは、CPUやメモリといったハードウェアに近い所を扱うプログラミング言語を言います。決して低級=レベルが低いという意味ではありません。ハードウェアに近い下の部分を直接扱うので「低級」で、上に行くほど日常言語に近く、より高度に抽象化されたものになります。それを「高級言語」と言います。一般的に、高級言語になるほど楽で便利ですが制約も多くなります。
高級言語は、JavaScriptと言ったスクリプト系の言語やPython、JavaやC#、Goといった言語も高級言語寄りです。
低級言語は、機械語やアセンブリ言語から始まって、C言語やC++が低級言語寄り。後述するRustも低級言語寄りです。
プログラミング言語は発展し、色々と楽になりましたが、基礎は待ったく変わっていません。基礎をやるのは今でもC/C++といった低級言語寄りの言語を使います。例えば低級寄りの言語はOSそのものを作れますが、JavaScriptなんてそのOSの上で動くブラウザの中でしか動かせないスクリプト言語です。
エンジニアとユーザー
自分のような超がつく文系人間に適しているのは、高度に抽象化されて日常言語に近い高級言語です。数学的な知識やコンピューターサイエンスの教育を受けていなくても、高級言語であれば簡単に習得できます。自分は一応C言語も基本は分かりますが、数学が苦手で複雑で高度な計算もハードウェア寄りの事もやらないので、今はC#ばかりです。(大昔ー10年以上前までーやっていたDelphiやObject Pascalは、Cのように低級言語的な事も出来る高級言語みたいな立ち位置でしたが、基本的にはもっぱらどっちつかずな立ち位置か・・・あるときDelphiのコードを読んでたらいきなりインラインで普通にアセンブリのコードが書かれていてドン引きした気もする)
ですから、自分は一度たりとも「エンジニア」と名乗った事はありません。例え万人が使うソフトウェアを作っているとしても、自分は単なるITを利用する「ユーザー」だと自認しています。基本的にエクセルのマクロを弄る事務員と変わりはありません。出来合いの既成プラットフォーム上で、提供されたものを弄っているに過ぎないと思っているからです。
低級言語の必要性
「ユーザー」ではない、自らプラットフォーム側に回って提供者となり、革新的で新しい事をやるなら、低級に近い低水準言語を使う事が必須となります。OSやDB、サーバー、ブラウザといった、今日の基礎的なプラットフォームは全てC言語、またはC言語系のC++などで開発されてきました。
社会にインパクトを与えるようなものを作ってプラットフォーマーになるには、C/C++は必須です。
例えば、ビットコインのような全く新たなマネタリーシステムを開発するには、わざわざ調べるまでもなく、100%、まず間違いなくC/C++が使われているだろうね、と分かります。暗号とブロックチェーンとコンセンサスアルゴリズムの分散システムと聞いただけで、C/C++の香りがプンプンします。
また、動画や音声通信といった技術を扱う際にも、C/C++が必須となります。高級言語でも動画・音声の処理や通信を「使える」けれど、実の所はC/C++で作ったプラットフォーム上で(ネイティブライブラリなど含む)それを「利用」しているにすぎなかったりします。
C/C++では、ポインターはもとよりヒープ、スタック、といったメモリ操作の概念が登場し、少なくともアセンブリ言語の基礎的概念も理解していないと辛くなります。スクリプト系言語や、JavaやC#、Goではこのメモリ操作を意識しなくて済む、という利点がありますが、その分、パフォーマンスを最適化出来ません。
C/C++が使われるのは、単に昔から使われてきたから、とか、過去の資産があるから、といった話しでは無いのです。
Rustの登場
もっぱらCやC++が独占してきたこの分野に、新たなRustというプログラミング言語が(特に英語圏で)旋風を巻き起こしています。「長い年月の中で初めて登場した“真のC++の代替”」と称されるもので、Rustの登場はプログラミング言語黎明期以来かOOP以来の非常にインパクトがある事です。
C/C++の特徴の一つは、「メモリを直接操作できるが故の高速演算処理」です。日本ではコンパイラレベルのアルゴリズム最適化と勘違いして、単なる計算速度を比較して、GoやJavaなど他の言語も早い、とか言っている人がいますが、悲しくなるレベルの勘違いです。
しかし、この利点でもある「メモリを直接操作」出来てしまうということは、バッファオーバーフローやメモリアクセス違反などの不具合(による脆弱性)を生み出しやすい、という弊害があります。利点と欠点がトレードオフの関係だったわけです。
このトレードオフの関係を解消し、利点を残しつつ、少しの制約でC/C++の欠点を解消してしまったのが、Rustという言語です。(なので、RustをGoと同列に語るのは根本的に無知な為の間違いです)
元はFirefoxというブラウザを開発するMozillaが作ったRustですが、OSのLinuxやAndroidなどにも使われ始めています。
グーグルやMSが「Rust」言語でOS開発、背景に国家による諜報活動の影 | 日経クロステック(xTECH)
越えられない壁
JavaScriptやPython、JavaやC#、Goといった高級言語寄りの言語と、C言語やC++、Rustといった低級言語寄りの言語の間には、越えられない壁が存在します。
今までJavaScriptやPythonをやっていた、という人間がC言語やRustに乗り換えようとしても、基本的な概念の所からして理解が難しくて挫折する人が多いと思います。アセンブリ言語とかハードウェアに近い基礎的な事を理解していないからです。
高級言語では、私のような文系人間でも問題なく、論理的思考さえできれば普通に活用できますが、低級言語の世界では、バリバリ演算を行うので、理系人間でなければ活用しているとは言えません。
自分にとっての「エンジニア」、というのは、こういう低級言語をバリバリ駆使して新しい技術を提供する側の人間の事です。(外見的には、個人的な経験上、アメリカに多いひげもじゃのグルみたいな人を連想する・・・例えばリチャード・ストールマンやウォズニアックみたいなw)
日本の現状は
日本における「エンジニア」の統計を取った訳でも、それほどマジメな議論をしたい訳でもないのですが、適当にはてなブックマークなどを見ていると、ひたすら「やれVue.jsがどうだ、Reactだ、***を使ってみた」みたいな、ブラウザ上でJavaScriptを使う、というだけでなく、既存のライブラリを、単に「使う」というだけの話しばかりです。いわゆる「フロントエンド」の開発での話題ですね。
はたまた、サーバーやインフラ側の開発では、AmazonやGoogleのクラウドサービスを「使う」というこれまた「使い方」で終始しています。Dockerにしてもしかり。「使いました」という話し。そういう話しを聞くにつけ、自分としては、なぜにDockerを作る側になれないのか、と思うのです。
かれこれ、10年ほどこんな傾向が続いているでしょうか。少し悲しくなります。
Rustの採用率でみる
基礎技術をやるエンジニアが日本で少ない、というアネクドートな仮説を検証するには、Rustの採用率を見れば一目瞭然かもしれません。RustはCやC++でやってきたようなプラットフォーム側のシステム開発で必要とされる言語です。これを海外と比較してみればよいのです。
きっと、RustやC++などの低級寄りの言語をメインで使っている「エンジニア」の割合は日本は有意に少ないと思います。
問題点
フロントエンドやクラウドは10年前は新しくてイケてる技術だったかもしれませんが、未だにそればかりがチヤホヤされて持ち上げられる風潮は問題があります。
当時から疑問を持っていましたが、自らプラットフォームを作る事をしないと、提供されたプラットフォーム上で踊らされているだけで終わってしまうからです。「フルスタックエンジニア」と言っても、「ユーザー」で終始している気がします。
フロントエンドやクラウドを利用しているだけで満足していると、私のような少しITに詳しい「ユーザー」が増えてくると、すぐに用済みになってしまうでしょう。
日本から Big Techが登場しないのは、こういった基礎技術を駆使するエンジニアが少ないのも一因です。(ま、因果関係が逆で、BigTechが存在しないから需要が少なくて・・という事も言えるがニワトリが先か卵が先かみたいな話し)
教育
そもそも、現在「エンジニア」を名乗っている人達で、大学でコンピューターサイエンスを専攻した人達って、日本では何割程度なんでしょうかね。
感覚では日本では2%以下の気がします。北米では90%くらいな気がします。<かなり適当
結論
理系の若いエンジニア志向の人達は、表面的なトレンドやイケてる風潮などに惑わされずに、C言語系からハードウェアに近い所を含めて、コンピューターサイエンス(CS)の基礎をしっかりと学んで、プラットフォーム側へ回れるように頑張って欲しいと思います。
現代の停滞はWebだけに限らない
今はWeb停滞期なのかのエントリでつらつらと今のインターネット界隈の停滞について書きましたが、ふと考えてみると、停滞しているのはなにもWebだけではないことに気が付きました。特に音楽、映画といった世界でも似たような現象が顕著に起きています(あえて言うなら政治もですが・・・)。
そして、その停滞はやはりインターネットと密接に関係していた、という事に気が付きました。
音楽
音楽と映画についてはやはり米国の影響を抜きに語れません。元々、ヨーロッパの上流階級ではバッハやベートーベンのようなクラシック音楽が「音楽」であり、同時に各地で民謡や独自の民族音楽が存在していました。
アメリカと現代音楽
大きな転機は、やはりアメリカ合衆国の登場からです。初期は、ヨーロッパ各地からの移民で成り立つ国ですから、ヨーロッパ各地の民謡や民族音楽がアメリカにおいてごっちゃになります。そして、アフリカから奴隷として無理やり連れてこられた黒人たちの存在があります。
厳しい環境におかれていた黒人たちは、ゴスペルや労働歌など起源とするブルースを生み出します。ヨーロッパの民謡などの流れをくむ民謡からはフォークソングが生まれます。
その結果、フォークソングとブルースが交じり合ってロックが生まれます。近代のポピュラー音楽の基礎がここにあると言っても過言ではないでしょう。クラシックの影響を受けた黒人の音楽は、ジャズも生み出します。
その後、ブルースの流れをくむR&Bやソウルも登場しました。さらに、R&Bやソウルとラテンの影響を受けた、ジャマイカのスカなどを源流とした、レゲエが登場します。ラップやヒップホップも誕生します。2000年前後はテクノやトランスと言ったエレクトリック音楽も登場します。ディスコ、クラブやダンスも含めて良いでしょう。
現在
さて、2000年代に入って以降、パッタリと新しい音楽のトレンドは登場していません。あえて言うのであれば、昔の音楽をエレクトリックでアレンジしたものが登場しています。例えば、ジャズとエレクトリック音楽の融合でエレクトロ・スウィングが登場しヨーロッパを中心に人気になった(自分も良く聴きます)りしています。しかし、このタイプは、アレンジやミキシングをしただけのエレクトリック音楽または軽いジャズに過ぎない、という考え方もあるでしょう。
こうして振り返ってみると、フォークソングやロック、ラップ、というものが当時の社会に対する(反抗の)メッセージであったり社会そのものを反映するものでした。
すると、音楽というものが、大衆における社会的に大きな影響力をもつものであった2000年代以前と、インターネットの台頭で社会的影響力が音楽からインターネットに移り始めた2000年代以降、と区切りを入れる事も可能かも言えるかもしれません。
つまり、社会的にある程度安定し、インターネットの登場によって音楽の持つ影響力が失われた結果、音楽の活力が失われて新しい音楽が登場しなくなった、と言えるのではないかと。
映画やドラマ
映画の世界といえば、「ハリウッド映画」を抜きに語れません。ハリウッドのスタディオで制作し、全米を始めとして世界の映画館に向けて配給するのが本来の「ハリウッド映画」です。
「ハリウッド映画」の衰退
ところがもはや「ハリウッド映画」、なるものは成り立ちにくくなっています。2010年代半ばから、Netflixといった独立系のストリーミングサービスが登場し、独自にドラマや映画を製作から配信まで行うようになりました。また、既存のケーブルチャンネルであるHBOも独自に制作したコンテンツをストリーミングで配信し始め、既にコンテンツを持っているディズニーなどもストリーミングサービスに自ら参入しています。
一方で、莫大な製作費と広告宣伝費を使って世界の映画館に配給するという「ハリウッド映画」のスタイルの映画は、過去の焼き直しが増え、質の低下も目立ち、人口の多い中国をターゲットにしてアジア人の優先的な採用などをするなどといった小手先な受け狙いが目立ち、以前のような影響力はもはやありません。なので、「ハリウッド映画」に限って言えば、停滞というより衰退と言っても過言ではないかもしれません。
映画やドラマに全般で言えば、ストリーミングサービスによる独立系の制作によって、ド派手さはないとしても、多様で非常に質の高い優良なコンテンツが分散化して増えたとも言えるので、衰退というほどではなく、健全化しただけかもしれませんが、転機であることは間違いありません。
結論
こうしてみると、音楽も映画も、インターネットの普及に伴って、大きな変化があった、という事が分かります。逆に言えば、インターネットのテクノロジーに依存したWebで何が起きるかによって、音楽も映画も大きく変わるかもしれない、とも言えます。
もっとも、インターネットで個人の趣味趣向が分散化して、単に昔のように皆が同じようなコンテンツを消費する時代ではなくなった、という事も言えるでしょう。結果として停滞しているように見えるのは残念ですが。
未来の事は分かりませんが、インターネットの双方向性を活用したインタラクティブなものが出てくるのかもしれませんし、VR・AR的な何かが進展して大きな転機が訪れるかもしれません。今は単なる停滞期なのだ、と考えて、未来に期待しましょう。
Webでの停滞がボトルネックになって、全てが停滞するようなことになっては残念です。
余談:
未来と言えば、中国やロシアと言った国々が世界で影響力を増してインターネットが監視と検閲を受ける社会が到来したとして(香港などは現在進行形ですが)、人々が表のインターネットから逃れて、裏のオルタナティブWebでアンダーグラウンドのネットワークを新たに作る近未来SF的な話しもあり得ない事では無いな、などと思ったり。
歴史上、音楽や文学といった芸術は、抑圧や悲劇から生まれるパワフルなものだった例が多いです。混乱や抑圧による悲劇を新しい創作の源泉として転化していくのは近代ではアメリカの専売特許でしたが、今後はどうなっていくのでしょうか。
バグバウンティで報奨金を貰えることになった話し
以前、RSS・AtomフィードはValidatorでチェックしよう、というエントリの追記で、BitBankさんの技術ブログのRSSフィードでXMLのパーサーエラーが出ている事を問い合わせフォームから報告したらバグバウンティに回された、と書いた件の続編です。
バグバウンティ(脆弱性報奨金制度)は個々の企業が独自に行っていたり、まとめて提供する代行サービスを運営している所も色々あり、基本は英語のものが多いのですが、BitBankさんは、BugBounty.jpさんを利用されてます。
で、そこ経由で、一ヵ月近く経った本日、修正した旨と、
本件は有益なご報告と認定された為、報奨金の支払い対象となりました。
報奨金額、及び認定の連絡は、この後の認定ステータスにおいて改めてご連絡いたします。
とのご連絡を頂きました。
話しのネタに、というノリだったのですが。こんな大した事のない内容の報告でも、報奨金を頂けるとのことでありがたいことです。でもまぁ、それ相応の金額なのでしょう。きっと、500円~1,000円とみた。(大きく外れたら報告します>桁ひとつ上だった。ありがとうございました)
バグバウンティは日本でももっと広まって欲しいので、今回あえて記事を立ててネタにしてみました。Bitbankの姿勢(バグバウンティの告知&大した事のない内容の報告でも報奨対象にする)も、お手本となるものと言えるでしょう(ちょっと対応に時間がかかったのが減点対象だけれども脆弱性というよりごく軽度な障害に過ぎなかったのでヨシとしましょう)。
今はWeb停滞期なのか
1990年代後半からインターネットと共に過ごしてきた自分としては、最近のWebって、つまんないよね、という気がしています。
もちろん、以前よりも便利になり、様々な事が可能になって、コンテンツの質や量も以前とは比較になりません。ただ、何か物足りない感じというかワクワクを感じる事が無くなってきました。
初期の頃は、ただの文字情報と動かない画像だけ、という世界でしたが、英語で色々なサイトを見る(読む)だけで楽しかった記憶があります。そのうち、CGIで動的にページが生成される掲示板やチャットも登場して、世界中の人と英語でコミュニケーションを取るのが面白くてしょうがなかった時代がありました。なにげにMP3とP2Pはこの時代からありました。
その後、ブロードバンド時代がやってきて、派手なサイトが増えてページがぐりぐり動き出します。Flash全盛期です。まるで雑誌のページのような動画や画像を多用したサイトが増えて、なんだか違うぞ、と思ってきたら、一気に廃れてテキストサイトなるものが流行り出し、一気に文字ベースのサイトへ揺り戻しが起こります。展開が早すぎて飽きる暇がありません。
この頃、脱Winodwsが流行り、Linuxが話題になりはじめます。雑誌の付録CDからインストールに悪戦苦闘する、という意味不明な事をして楽しんでいました。ブラウザの世界でも戦争が勃発しており、Netscape対IEが長い間派手にやっていてWebの世界も先行きが見えない時代がありました。
そんな中、ある時ユーザー・ジェネレーテット・コンテンツなる言葉が登場し、ブログが話題になり始めます。テキストサイトの発展形とでも言いましょうか。猫も杓子もブログサービスを始めます。関連してフィードリーダーなども登場して、Webの世界が様変わりしました。SNSも乱立し始め、個人が情報発信しやすくなった、Web2.0時代の到来です。
Second Lifeという3次元仮想世界なる訳の分からんものが物凄く流行ったというか話題になって、一瞬で消えてった気もします。
ブログとWeb2.0の熱が冷めやらないタイミングで、GoogleがGoogle mapsを発表します。今までページの飾りモノを弄るだけのものだったJavaScriptを使って、ダイナミックにページの部分部分を書き換えるとかいう代物をとてもスムーズにやってのけたのです。ビックリです。Webのユーザビリティが一気に向上した、Ajaxの時代の到来です。
iPodも登場し、iPhoneでスマホ時代の幕開けです。どこでもWebの時代です。AppleのMacが華麗に復活を遂げたのも印象深い点です。
光ファイバー網やLTE/4Gが普及した結果、Youtubeの画質向上によりテレビの代替となり、Amazon prime videoやNetflixといったストリーミングサービスも登場しました。
スマホによって、インターネットが一般大衆化され、SNS、動画ストリーミングが確固たる地位を築いた、とも言えるかもしれません。
その裏ではビットコインというインターネットの発明以来とも言える革新的でデジタルネイティブなマネタリーシステムも登場しました。
とここまで記憶だよりにざっくり振り返ってみましたが・・・・ここ数年(5年、10年)は何も新しいワクワクするような変革は起きていないような気がします。
Webは停滞期に入ってしまった、と言っても良いのかもしれません。
どうなんでしょうか。もし、Webが停滞期に入った事が事実であれば、その原因というか理由はどこにあるのでしょうか。
一つには、Youtubeを初めとして、動画コンテンツは時間的に拘束されます。注意力が専有されるので、他のオンライン活動に費やす時間がその分減ることで、その他のWeb全般の活動が沈滞します。これも一つの大きな理由なのかも知れません。
もう一つは、Web2.0時代を生き残った企業、いわゆる日本でいうGAFA、英語でいうBig Tech、つまりFacebookやGoogle、Twitterを含め、特定のIT企業が圧倒的な独占的立場を築いてしまった為、健全なる競争が阻害されていて、新しいものが出てきにくい、という現象が起きているのではないか、とも思います。
今、米国政治では、そういったBig Techへの規制を強化する議論が盛んにおこなわれています。それも、税制と独占禁止法との両方で締め付けていく方針のようです。それによって、どれだけ状況が改善されていくかは不透明ではあるものの、何か変えようとしているのは確かなようです。
いずれにせよ、5年後、10年後、今の2021年はどんな時代だったのか、振り返ってみるのも面白いかも知れませんね。
追記:ものすごく似たような事を書いている人が居た・・・
続き: